コーヒーと台湾メニューが人気のカフェ店主が綴る、この街で暮らす理由。
あなたはなぜ、高山/飛騨に?
昔々、ある大学に創部3年目の部活がありました。出身や運動経験もバラバラ。個性的で強い尖った新入生の中に、飛騨出身の若者と、東村山出身の頓馬がいました。
学生生活を終え、数年間の会社員生活を送った飛騨の若者は後区切りをつけ、高山に戻ったこともあり、フーテン気味だった東村山の頓馬は、高山や飛騨を年に一度くらい訪ねるようになり、そうしているうちに、ダメだったら仕方がないくらいの気持ちで、東村山の頓馬は奥さんと高山に引っ越すことにしました。
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「あなたは何で高山/飛騨に?」と色んな場面、特にカフェのカウンターで聞かれ続けてきました。
「東京を出た個人的な理由はさておくとして、ゲストハウスや宿を運営さえすれば、小さな暮らしであればなんとかなるのではないか?なんて思えるようなインバウンド需要の盛り上がりがあり、それが大きな要因です。」
と答えたら、10秒で済んでしまい、お客さんとの会話が広がりませんし、この投稿もここでおしまいになってしまいますが、高山/飛騨で生活を始めると単純に楽しい上、日々が流れてゆくのではなく、積み重なってゆくような実感を感じ、自然と後押しされて幸せを分けていただき家族まで増え今に至っています。
当初の予定や目論見通りになったことは何一つなく、ゲストハウス開業を考えていたのに、半弓道場を受け継ぐことになったり、家族が増え心境が大きく変化したり、世界でも大きな出来事がありました。同時に、高山自体も日々姿を変えてここにきた前提条件が変わっており、「あなたは何で高山/飛騨に?」に、回答することに意味はあまりないような気がしています。
さて、この秋までの観光やサービス業をめぐる状況は、厳しい状況になっているのは周知の通りで、暮らしていくというより、生き抜くや生き残るという言葉の方がしっくりするくらい、簡単なものではありませんでした。
けれど、高山以外の日本の土地に居を移すことはあまり考えておらず、他の場所に住むのなら、妻と娘の故郷、台湾くらいしか思い浮かびません。
「あなたは何で高山/飛騨に?」を「あなたは何故まだ高山/飛騨で?」の設問を変えると
類稀なる自然を間近で感じられること、
徒歩数分の所に歴史的な街並みがあること、
カフェや道場を支えてくれるお客様がいる、
ここに来た縁で育まれた人間関係のかけがえのなさ、
自分たちを親にしてくれた周囲の人々の存在、
一つだけでも住み続けたいと思う、去り難い土地である理由が五つほど上がりました。
まだまだいくらでも挙げることはできるのですが、「高山や飛騨が好き、住みやすい」と言った単純な言葉では説明仕切れない愛着を抱いており、その愛着こそが、目まぐるしい状況で凹まされ揺さぶられることより大きく、自分たちを支えてくれたと感じています。
若い頃はこの愛着に似たものを「重み」にも感じられ、距離を置いていました。何だか懐かしいですね。
高山/飛騨生まれの娘ももう3歳になりました。市内の見晴らしの良い場所で遊ばせていたりすると、いつかこの子も、あの山を越えてゆくのかな。なんて時々考え、高山/飛騨から出てどこかに属し、何かに励んだりするのかなぁなんて想像します。
そんな時に思い出すのは、私が新入生だった時に出会った、飛騨出身の若者。冒頭にもあげた、今では30年近い付き合いになる友人の学生時代の面影です。
アクの強い同期が多い中、感情を剥き出しにするようなタイプではなかったけれど、謙虚で他人に優しく、本番にめっぽう強い。彼は同期の中で一番「いい奴」でした。
ピュアな部分が大きいあまり、他の地方出身者以上に、私のような半端者に引きずられ、都会(といっても埼玉の外れです)に傷つけられ、汚されてゆくのですが、それでも卒業後に会った時、「優しさや、純粋さ」は消えてなかったと思い返す度に感じ、日本全国から集まってきた同世代のチームメイトの中で、一番の心意気を思い出すのです。
いつかは飛騨を出るであろう娘、
飛騨から出てきたばかりのあの時の友人、
その二つを掛け合わせると、拓かれても削られても変化に晒されても、大事な部分を失わないこの土地の自然や文化、飛騨そのもののように育って欲しい。。なんて思うのです。
親御さんやご家族に育まれ、仲間に囲まれた上で高校を卒業するまでの人生を送った彼やご家族、そもそも娘を差し置いて、飛騨/高山で育つことが素晴らしい!なんていう事自体に論理的な飛躍があるのですが、他の土地に移ることを考えられない1番の理由は、そんなところにあります。
そう、ここで暮らしていきたいです。
「あなたは何で4年前に高山/飛騨に?」に答え続けているうちこの土地のことを知った私の「あなたは何でこれからも高山/飛騨で?」に対しての全力回答はこんなところです。
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続きはカフェのカウンターか半弓道場で、でも良いのですが、もう少し続けさせてください。
子供に何かを望む、与える与えないはさておき、私は高山/飛騨に残っている建物や言葉、高山/飛騨の方々の自然な立居振る舞い、この土地に在る、起きることが他の場所と違い特別なことに気づき、それがなぜ起こるのかを、以前の生活と4年間の生活を比較しながら考え、暫定的に
「山に守られた一つ前の時代の価値観が、歴史的自然的景観と相互作用しながら、人の生き様に残る稀有な場所。」
と高山/飛騨を定義付けています。
30年前、平成の初めに出会った飛騨の若者、
今の家を借りるときの大家さんが出した条件、
日本全国にあった半弓道場が高山だけに残った理由、
古い町並みが残った経緯、
飛騨における中央勢力の流入や侵入、その時の物語、
それぞれ全く違う時間軸、違う文脈なのにも関わらず、どこを切っても金太郎飴のように、表に裏に定義が浮かび上がります。そういったものに出会える土地とその日々に感動しています。
敏感になれたのは、まだまだ「余所者」なのにも関わらず、面白がって盛り上げたりいろいろ教えてくださった皆さんのおかげなのですが、そんな私が一方的に感じているだけかもしれない高山/飛騨の定義と、余所者視線を掛け合わせ、
「外から見た飛騨、中から見た飛騨」を軸に、次回は話を展開させていこうと思います。
それではまた、いや、そしゃな!
高山市八軒町にあるカフェcourier(クーリエ)は、東京都東村山市出身の黒岩直己さんと、台湾出身の奥様リンさんが営むお店です。お二人とも世界各国を旅したり暮らしたりしたご経験があるのですが、ご結婚後に店舗と住居を構え暮らしているのは高山。世界を知り、飛騨地域出身でもないお二人がなぜこの街で暮らすことを選んだのか?黒岩さんご本人による寄稿文、全3回のうち第1回目です。