なんでこんなことをしなければ。。。
なんでこんな目に遭わなければ。。。
なんて、路面から剥がれない雪をかき、鼻水を垂らしながらついつい考えてしまう冬の高山/飛騨。
思いを巡らせたところで、屋根の雪は春まで溶けてくれませんが、自分のような流れ者が高山に住み続けたくなる理由を考えるに最高な季節。
何をいまさら。そもそも1月の真ん中あたりから、お前高山いないじゃないか。。なんていう声が飛んできそうですが、
「山に守られた一つ前の時代の価値観が、歴史的自然的景観と相互作用しながら、人の生き様に残る稀有な場所。」
と、前回の投稿に残し、私が高山に来て以来考えていることを書かせていただきます。
本邦初公開。
ルンバは踊れない
さて、これを読んでくださってる方で、
「高山の人は飛びつきやすくて飽きやすくて、来てもすぐ撤退する」
なんて、フードチェーンなどの開店や撤退について高山/飛騨の方が語るの時に話されたり、SNSで見かけたりしたことはありませんか?
私は、立場柄かよく見聞きする上に、店でこの話題自体を振られることがあるのですが、
「半分当たって半分違い(要はどっちとも言いかねる)ますね。」
なんて、最近は曖昧に返します。
商売をしてる側でもあるので、形態がどうであれ、そこに関わる人のことを考えると軽々しく話せなかったりもするのです。
また、もう一方の当事者とも言える、全国展開するある企業の方とこういった話をする機会もあって、その方は、高山/飛騨における商売やビジネスを、
「市場調査などから予測が立たなかったり、商圏人口などに応じたセオリーが通用せずに苦労するんだよね。本部の意向や前例を踏襲しても上手くいかないし、本部が求めるタイムラインでは成果が出ないし、測れないし大変なんです。。」
なんて話してくれました。
開店や撤退を話を世間話のネタにする高山の方、既存チェーンの拡大を高山でもくろむ人達の感覚。そんな方々の両方と会話ができるのがカフェオヤジの醍醐味だったりしますが、この二つの視点から見た高山/飛騨に、高山/飛騨らしいものがいろいろ込められているように感じてしまいます。
システムがその本領を発揮するのは、物事が均一でルールに沿い条件が整っている状態と言えると思いますが、ルンバが入っていけないオブジェの裏側は、箒で掃除しなくちゃいけないように、
山に囲まれて商圏が小さい上に、隣の商圏と隣接していない高山/飛騨は、サプライチェーンやスケールメリットを生かすことが大変だったりし、システムを回転させるセオリーが通じにくい土地なのかもしれません。
そんな土地であるが故、大変であると同時に。人間らしい商売や小さい商売が生き残る余地があり、手間隙を厭わず、手作りな商売をする方々がこの町に無意識/意識的に留まっているような気がします。
一様でないが故に、まとまって何かをすることができなかったりして、小さな商いの集合体は、その非効率性をつかれることがありますが、個人単位では臨機応変であったり、じっくりお客さんと向き合ったり、経験値を積むことができる環境は、巡り巡って付加価値の高い商品や求められている商品を提供できているようになる気がします。
どちらかが良いという話はさておき、私は高山のこんなところが特別だと思い、好きな所です。自分たちがやっている商売がまさにそのサイズのものだけに、そういう高山ならではの条件に生かされてるような気がします。
時代遅れ だからどうした
さて、話は変わりますが、私は、カフェ以外に、朝日町で「半弓道場」という施設も運営しています。
高山の方でしたら、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、オンラインやバーチャルに移行させようのない、スポーツのようで遊びでもない商いで、良くも悪くもなかなかの時代遅れ。私が事業を引き継いだ時点で、半弓道場は日本で唯一の「半弓場」になっていました。
それもそのはず、「半弓」という遊びが日本で流行したのは平成どころか昭和でもなく、なんと江戸末期から明治時代。資料などを辿ってみると、大正時代には急激に廃れていった、庶民の遊戯だったようです。
そんな「半弓」を先代のお父さんが開業したのが、昭和4年、1929年。その時代は、戦間期とも呼ばれ、バブルと恐慌に見舞われた時代で、関東大震災を境に、浅草のようなを江戸や明治の匂いのするものを「復興/復旧」させるのではなく、銀座を計画的に「建設」したように、世の中の古いものが捨てられ、入れ替わっていた時代でした。
なのに、
とっくに廃れ、当時の都市圏では、「うわ、半弓場なんてある、明治か!」とツッコミを入れられていたと思しき「事業」なのに、高山警察署に届け、新規開業しているのです。1934年に鉄道が開通する以前だったとはいえ、高山にも時代の空気や風潮は、十分に届いていたはずなのに。
そして令和の現在、いつの間にか、日本で最古の半弓場になっています。
飛騨には、小説家や映画監督のように、その世の中を把握し、内と外とのギャップを引き受け、時代にカウンターを放つような人や組織が現れますが、道場の先代やお父様、そこを途切れることなく訪れたお客様もそんな方たちだったのだろうと感じます。
ライフスタイルより生き様
こういった事の良し悪しは横に置き、一つの方向や価値観に向かったり、安心安全便利快適を大都市や他の地方並みに達成できない代わりに、
全国チェーンが苦労する
小さな商いが生き残る余地がある
歴史を飛び越えるような商売が存在する
といったことが高山/飛騨では起こり、起こす人がいて、「ライフスタイル」より「生き様」と言った言葉が似合い、
「山に守られた一つ前の時代の価値観が、歴史的自然的景観と相互作用しながら、人の生き様に残る稀有な場所。」
だなぁと思います。生きるに足る場所で生活している実感。そこに喜びを感じます。
そんな土地に住んでいる
飛騨の山々は、今生きる人を横軸で、過去と未来の人を縦軸で繋いでいます。「山々に護られている」のか「山々に遮られている」のかをじっくり考え、友人と話し、四季を重ねる生活を選んだ人がいます。
江戸から来た代官も、金森氏も、両面宿儺も、山を仰ぎながら、一度はそんなことを考えたのでは?なんて思いを巡らせます。
こんなことを考えながら雪かき、いや雪またじの手を止めると、片付けたはずの歩道が、また白くなっています。