逃げ出すつもりだった
2020年から今の今まで、私たちの高山の事業は試練だらけのピンチまみれ。
精神的に追い込まれた時期もあり、短気で放浪癖のある自分が、なんとか商売を続けられ、こうして文章などを書く機会をいただいているのは、Youは何しに高山へのVol.1,2で書いてきたような「こんな場所どこにもない」という気持ち、お客様や苦しんでいる仲間の支えがあったからこそでした。
頭を抱え、行き詰まりを感じ、事業を畳んでどこかに逃げ出す算段をしていると。。。窓越しに「頑張って!」なんて言われ、週末に発表しようとしていた「ギブアップ〜」宣言を引っ込めたこともありました。
そんなスレスレな事業を続け、身悶えしていたことこそが、いつの間にか経験値になっていました。
大儲けもできませんが、ミスが少なくなり、限られた時間でできることが多くなりました。必ず恩返ししますので、少しお時間くださいね。
人が休むときに働き、働いているときに休む飛騨
さて、夏も終わりですね、
この季節、街の辻々や、閉店後の店の明かりから溢れる、
無事に仕事をやり切り、お互いを労いあうような空気が、大好物なのですが、
高山/飛騨の人に限ったことではないのですが、寒い地域の方はとにかく夏によく働きますよね(と感じます)。
寒冷地である木曽に住んでいたり、「黒岩」だらけの父方の実家嬬恋村でキャベツの収穫の手伝いなんかをしてきましたので、飛騨の夏がどういうものなのかはある程度心得ていましたが、
農業だけでなく、観光地としても夏は賑わうので、寒冷地あるあるな夏の忙しさに、高山/飛騨は拍車がかかっているように感じます。
そんな観光と農業が掛け合わさる代表といえば「朝市」ですが、今年もお盆に収穫のピークを合わせ、屋台を採れたてのもので山盛りにし、客様をお出迎えする仕事っぷり。
想像を超える忙しさだろうに、お客さんにそのまま食べてください!と、しっかりとうもろこしが、茹でて個装されて並んでいたり。。。もう脱帽するしかありません。
人が休むときに働き、働いているときに休む飛騨
繁忙期に閑散期のことを考えながら工夫し働き、
厳しい冬に夏のことを考え準備する飛騨
雪が降るような季節になって、品数品目がせつなくなり、出店数が減って鮮やかでなくなった朝市の、
「ここは旧社会主義国のマーケット?」
な状況を見知っているからこそ、ああ、こうやって一年を過ごされているんだなぁ、とお盆の大繁盛に感動してしまうのです。
私や私たち家族も、店でお出しするメニューやディスプレーが、飛騨リズムに連動するようになりました。このリズムがあるからこそ、季節に敏感になるのかもしれません。
夏は朝から忙しない
そんな皆さんをぼんやりみている私も、早起きの農家さんのように、私も春夏に4時起きして出かけることがあります。
これは、
「なんでこんな寒いところに住もうと思ったの?」
という質問への答えでもあるのですが、
私は、飛騨に来る以前から毛針を用いてリールのついていない竿で魚を釣る、「テンカラ釣り」という釣りが好きで、岩魚(イワナ)や山女魚(ヤマメ)や虹鱒に相手をしてもらいに、春夏は朝早くから川に出かけているのです。
都内に住んでいた時は、この釣りをするために、年に数回北海道や長野に出かけていたくらいだったのですが、高山に住んでからは、カフェの仕事と保育園のお迎えの合間に魚が相手してくれるし、休日に朝から出かければ、飛騨の中で十分楽しむことができ、この釣りのために遠くに出かけることがなくなりました。
相手をしてくれる渓流魚と呼ばれる魚は、高い水温を嫌います。
冬になると平気で氷点下になり、9月のうちからカフェの会話が初雪の話になったり、水道の凍結が気になって遠出できなくなるような土地で冬を耐え忍び、夏に生を躍動させる生き物。
「昔は、暑くても30度なんて滅多に超えることなかったんだよ。」
なんて、お客さんが話されるとき、飛騨に魚は住み続けられるのかな?なんて考えます。
覚めない夢
釣りと住む場所を鍵に「何しに高山へ?」について書こうとした時、北海道出張の帰りのフライトまでの時間、千歳の近くの川に釣りに出かけ、町中で綺麗な虹鱒を釣ってしまうという経験をしたことを思い出しました。その時、北海道に住んでいる人が心底羨ましくなり、気がついたら翌週に千歳にまた飛んで、不動産屋さんを回っていました。
釣りの朝だけは、ぱっちり4時起き。
よく飽きないね。。。。なんて眼差しを妻に送られることもありますが、
「南太平洋に出かけるマグロ漁師になる」なんて卒業作文に書いていた元小学生にしたら、大分サイズは小さくなって、気候はかなり寒くなっているものの、毎日のように魚釣りに出かける今のこそが、夢を叶えているような状態なのです。
フラフラしていたからこそこの土地にたどり着いて、この土地を愛せるのは、小さい時期の夢の延長に「今」があるからか?なんて考えます。
何しに高山へ?の答えにはなっていませんが、
どこか浮ついた気持ちで移り住んだ高山/飛騨が、いつの間にか去り難い場所になり、去り確い気持ちが、文化や自然環境に合わせた生活を選択するようになって、そこで暮らした年月が経験値になりました。
それは、ここで生まれた友人と10代の頃に出会った記憶、生活の中で感じる歴史のレイヤーとそれを守る人々。存分に魚に相手をしてもらえる豊かな川と、彼方に見える山々あってこそだったと感じています。
これからの5年間は、
3回に渡って「何しに高山へ?」というお題をいただいて、回答になっていない文章を書きながら、
自分だけでなく、ここで生まれた方、移住してきた方、旅行者、
それぞれの横顔を介して、高山/飛騨の過去と今、未来を考えるようになり、さらにさらに土地への愛着が深まりました。
夫婦の日々に意義を与え、3人家族にしてくれ、高山/飛騨に支えられた5年間でしたが、
これからの5年間は
「何しに高山へ?」でない「何を高山へ?」
ここに繋ぎ止めてくれた方や環境に恩返しをし、意識する日々にしていく!
とお約束し、筆をおき、釣竿を持とうと思います。
夕方に雨が上がりそうで、お魚さんが相手をしてくれそうなので。。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。
カフェクーリエ 半弓道場
黒岩 直己